2024年6月のことば
今にして 知りて悲しむ 父母が
われにしましし その片思い
窪田空穂
【住職感話】
高齢になってから初めて、自分の若いころ親の意に従おうとしなかった。そのことを親はどんなに悲しく思っていたことであろう。両親が自分にかけてくれた願いにそむき、自分の身勝手ばかりふるまっていたので、両親を片思いに終わらせてしまった。まことに申し訳ないことをしたという痛烈な懴悔のことばである。
両親もさることながら、無始劫来、私たち一人一人を思いづめに思いつづけている形なき親がある。この大悲心を阿弥陀仏という。わが身に落ちつけず、あらぬ方をさまようている私たちに、自身に目ざめてくれよと真剣に願いつづけている親。この親心を片思いに終わらせてはならぬ。弥陀五劫思惟の願いをよくよく案ずるに親鸞一人がためなりけり、親心、大悲心が届いた時の親鸞の叫びであった。 『こころの詩』(米沢英雄著)
現在、娘は大学4年生、息子は高校3年生。それぞれ就職活動、大学受験に真っ最中です。二人の大きな試練に、親として何もしてあげることはできませんが、心配ばかりのもどかしい日々です。私にも子どもたちと同じ時期がありましたが、当時の私には親の気持ちを察する余裕はなく、自分のことで精一杯でした。子どもたちのお陰で、今にして、親の片思いに気づかせてもらっている真っ最中です。まして、仏様の大悲心、親心が、この私一人に「自身に目ざめてくれよ」と願いをかけ続けてくださっていたとは…。今は亡き父のお念仏申す姿を通して、仏様の片思いを垣間見る日々です。