2021年8月のことば
死別の悲しみが弔いを生み
弔いが死者と共に生きる人間を生んだ
釋祐順
【住職感話】
葬送儀礼がどんどん変化しています。近年、家族葬(実際は親族葬)が増えました。一方、家族葬に対して、従来までのお葬式を、一般葬という名称を使うようになりました。さらに、直葬やゼロ葬といった、実際には葬儀のない新しい方法が生み出されてきました。
私は、時代は変わるとはいえ、合理化、簡略化の中で、人間にとって何か大切なものが見失われていく、取りこぼされていくことに不安を感じています。
葬送儀礼の始まりは、私たち現生人類(ホモ・サピエンス)の前のヒト属、旧人(ネアンデルタール人)にまで遡ります。約5万年前に、イラク北部のクルディスターンにある洞窟遺跡シャニダールで、ネアンデルタール人が遺体と手向けた花を埋葬した遺跡が発掘されました。
このように、人類と葬送儀礼には密接な関係があります。いや、実は、人類(人間)の誕生と葬送儀礼(弔い)の誕生は同時だったのです。人間は「死者を弔う」行動をとる唯一の動物です。死別の悲しみが弔いを生み、弔いが死者と共に生きる人間を生んだのです。
死者と生者のお互いが、「弔い」を前提として生きる時、死者は安心して旅立っていけるし、生者は安心して見送っていける。御門徒のお婆さんの「ご院さん、私の後は頼むで」の言葉の「後」とは何か。それはまさに、彼女の葬儀から始まる「弔い」を意味していました。長年の疑問が、今日、ようやく解けました。