話すことは放すこと 放すことは離すこと(10月の言葉)

話すことは 放すこと
放すことは 離すこと
[住職感話]
私は、大切な人を亡くされた悲しみの最中にある中陰(亡くなられてからの49日間)を愛別離苦の時といただいています。
仏教では人間が生きている上で避けては通れない苦として八つの苦しみを上げています。それが、生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦 (おんぞうえく) ・求不得苦 (ぐふとっく) ・五蘊盛苦 (ごうんじょうく) です。とりわけ、愛別離苦は「人間の八苦のなかに、さきにいうところの愛別離苦、これもっとも切なり」(『口伝鈔』)と言われ、八苦の中でも最も辛く悲しいものです。
そこで、今、私は七日参りの折に、御遺族から、なるべく色々なお話を聴かせていただくようにしています。しかし、かつては、ただ聞くだけでは、何のお力にもなれない、聞いたところで、現状を変えることはできないという無力感に苛まれていました。
ところが、聴くという行為は、一見パッシブ(受動的)なものに見えますが、実は、字が示す通り「耳」と「目」と「心」を使ったアクティブ(能動的)な全身表現なのだ、と教えていただきました。
一方、標題のとおり、話すことは、内なる想いを外に放つ、解放すること。放すことは、離れること、遠くから客観的に内なる想いや起こったことを見られるようになってくることなのです。
これは私自身の体験ですが、たとえ毎回同じ話しであっても、何度も繰り返し聴いてもらっているうちに、自然と自分の気持ちの整理ができていきます。たくさん聴いてもらって、たくさん助けてもらいました。どうぞご遠慮なく、なんでもお話しいただければ幸いです。