ほんこさんをつとめんと もったいないわ【2025年2月お寺の掲示板】

ほんこさんをつとめんと
もったいないわ
あるおばあさんのことば
【住職感話】
もう10年以上も前になります。ある村の在家報恩講で、あるおばあさんが「ほんこさんをつとめんともったいないわ」とポロッと口にしてくれました。以来、なぜ「報恩講を勤めないともったいない」のか、はっきりした答えが出なくてずっと気になっていました。
それが、今年ふと、では逆に「報恩講を勤めるのはもったいない」のか、という問いが涌きあがってきました。こちらの答えは、すぐに出ました。お金がもったいない(御布施)、時間がもったいない(忙しい)、人付き合いをしたくない(煩わしい)つまりその労力がもったいないのです。
では、おばあさんは、一体何がもったいないのでしょうか。その答えがこのたびようやくわかりました。それはずばり、仏様のご恩に報いないことがもったいないのです。報恩とは恩に報いること。恩とは「因(もと)」の「心」と書きます。だから、恩とは「因(もと)に心が向いている」状態です。見渡せば私の周りは実に多くの恩に囲まれています。親、先祖、先生、門徒、地域、食べ物、大自然、宇宙等、数え上げればきりがありません。日夜私を護り養ってくれている、これら私の「因(もと)」に心が向いていると、自然に恩に報いる心が育ってくるのです。そして、これらの恩をひっくるめて一言で表すと、仏様のご恩と私はいただいています。
おばあさんも、お金、時間、労力に対してもったいないと思うことはあるでしょう。しかし、それ以上に、私の「因(もと)」になる仏様のご恩に報いないことは、もったいない、かたじけない、面目ないということなのです。
ところで、この答えに至るまでになぜ10年以上もかかったのか。それは、忘恩、私が仏様のご恩を忘れていたからです。「忘」は「心がお亡くなりになっている」状態で、誠にお恥ずかしいことでした。