この心も身も全部 如来からの いただきもの【8月心に響く言葉】

この心も身も全部
如来からの
いただきもの

大峯 顯

[住職感話]

先日、Rさんから、東京コレクションで披露するウェディングドレスを、姪御さんに頼まれて縫うことになった顛末を聞かせていただきました。Rさんは、「大舞台のショーだし、年も取ったのでとてもできない」と何度も断ったが、姪御さんから「どうしても」と迫られた時、上記の法語(法語カレンダー2022年7月)が心も身も貫いたそうです。「私の「心も身も全部 如来からのいただきもの」なのだから、姪の「心も身も全部 如来からのいただきもの」だった。姪からの頼まれごとは、実は如来からの頼まれごとだった。だったら喜んで引き受けようと思った」と一瞬でひっくり返った」そうです。

よく「頼まれごとは、試されごと」(中村文昭氏)と言われます。人からの「頼まれごとは、試されごと」は、できるかできないかの結果を気にし過ぎて断ることが多いのです。しかし、如来からの「頼まれごとは、試されごと」は、やるかやらないかで、結果は手放す。ただ、如来を見失っていないかが試されます。不思議なことに、自分一人の力で頑張ろうとするのではなく、心も身も如来に委ねることでこそ、本当の主体性が得られるではないか。このお仕事は「如来からのいただきもの」と自覚する時、思いがけない力が目覚めるのではないでしょうか。そして、その自覚が、人と人とをつなげ、一つにしてしまうのです。私は、その自覚を信心といい、そうさせるはたらきを「南無不可思議光(南無阿弥陀仏)」と受け取っています。