2024年12月のことば
ただ今現に
仏様まします
釋祐順
【住職感話】
報恩講の季節がやってまいりました。毎年毎年「報恩講って何だろう?」という大きな大きな問いをいただいています。
さて、二年前に報恩講とは、報は「届いています。受け取りました。ありがとう」、恩は「私のためにしてもらったことに気づくこと」、講は「仏様の教えを聞く集まり」と真城義麿師に教えていただきました。わかりやすく、しかも深い意味合いに感銘しました。
ところで、西勝寺の境内には、2年前まで梅の木がありました。毎年、きれいな花と多くの実をもたらしてくれました。梅の実は、代々の坊守が梅干しにしてくれました。子どもの頃から食べ慣れているせいか、我が家の梅干が一番美味しいです。
実は、事情があって梅の木を伐採せざるを得なくなったのです。その時、思えばいったい誰がいつ植えてくれたのだろうか…。おそらく60年以上前の住職、坊守、御門徒の誰かが植えてくれたのでしょう。きっと自分のためだけではなく、むしろ、家族のため、まだ見ぬ子孫のために植えてくれたはずです。そう思うと、はじめて梅の木を拝めました。
梅の木は「私のために植えてもらった」ことに気づき、植えた人の思いが私の心に「届いて、確かに受け取りました。ありがとう」そして「ごめんなさい」という瞬間でした。今まで当たり前にあったものが、実に有り難いものに転じられたのです。この時、報恩講からお育ていただいた感謝と懴悔の心に気づきました。毎年毎年の報恩講の積み重ねによって、梅の木の背後の仏様を目の当たりして「ただ今現に仏様まします」との心境に至りました。