コロナ禍や 心の距離は 縮めよう【住職メッセージ】

<住職からのメッセージ 2021年5月>
コロナ禍や  
心の距離は
 縮めよう
釋祐順
コロナ禍によって、”ソーシャルディスタンス”という言葉が使われ出しました。本来の意味は、「社会的距離(心理的なものも含む人と人との距離)」です。ところが、実際に使われている意味では「感染予防のためにとる対人距離」で使われています。それを表現する言葉は、本来なら”フィジカルディスタンス”。つまり、物理的・身体的距離となります。ですから、世界保健機関(WHO)は、”フィジカルディスタンス”に改めていますが、日本では、未だに”ソーシャルディスタンス”を使っています。
私が、なぜこれらの言葉にこだわるのか。
実は、叔母が去る4月3日に寿算77歳で亡くなりました。叔母は、コロナ禍がはじまった昨年の3月からおよそ1年、”ソーシャルディスタンス”(感染予防のためにとる対人距離)を気にして、ほとんど子にも孫にも会わなかったのです。子も孫も近くに住んでいるので、コロナ以前は、盆正月はもちろん、月に1度程度は、顔を合わせていました。
この1年で体重が10㎏減り体調がすぐれないことから、3月に入って病院で検査をしたら、直腸から肝臓に転移している悪性癌の疑いが見つかりました。病院からの連絡で、入院準備に駆けつけた子と一晩過ごしましたが、入院すると会えなくなりました。そして、まさか入院後3週間で亡くなってしまったのです。なお、孫とは亡くなる3日前に短時間会えたそうです。
私は、驚きと悲しみ、さらに怒りも込み上げてきました。叔母が、どんな思いで、子や孫と会わなかったのかは、もう審らかにできませんが、私にとっては残念無念で、とても悔しいのです。
世界保健機関は、”ソーシャルディスタンス”という言葉を改めた理由を「我々があえて”フィジカルディスタンス”と言い換えているのは、愛する人や家族との関係を社会的に断たなければならないという意味ではなく、人と人とのつながりは引き続き保ってほしいと思うからだ」と説明しています。つまり”ソーシャルディスタンス”という言葉が、愛する人や家族との関係を社会的に断ち、人と人とのつながりを引き裂く雰囲気をつくってしまうのを危惧したからです。「人と会ってはいけない」という情報ばかりではなく、このような情報こそ、叔母の耳にも届くぐらいに、広く知らせていただきたいものです。
ところで、”メンタルディスタンス” つまり、心の距離という言葉はまだ使われていないようですが、叔母の死からその大切さに気づかされて、表題の歌が自然と生まれました。
では、どうしたら”メンタルディスタンス” (心の距離)を縮められるのか。もちろん直接対面するのが一番理想的なのですが、ごく最近の七日参りでは、遠方に住む子や孫が、パソコンを使ってテレビ電話(ズーム)でお参りされる家が出てきたのは朗報です。しかし、パソコンやスマートフォンを使ったデジタルの心の交流は、これからどんどん増えていくでしょうが、高齢者にはハードルが相当高いところです。一方、アナログでは、手書きの手紙なんかは、もらうととても嬉しいものですね。
最後に、このたび、人と会うリスク(コロナ感染の危険)はもちろんありますが、人と会わないリスク(愛する人や家族との関係を社会的に断つ危険)もあることをよくよく学びました。これからは、人と会わなければそれで済むのではなく、会わないリスクもよくよく見極めて、会う、会わない、を判断していきたいです。