私がここにいるということは 母の必死の祈念があるということ

2023年5月のことば
私がここにいるということは
母の必死の祈念があるということ
東井義雄
[住職感話]
『母の祈念』と題する標記の言葉に、命がけで産んでくれた母の祈念をすっかり見失っていた私を知らされました。東井師は、
『祈られている存在』ひとりひとりの子どもの背後に「親」がある。子どもは「祈られている存在」である。
「命」は自分が生きているというより「生かされているいのち」「願われているいのち」「父母をはじめ、目には見えない大いなるものなどによって生かされ、願われている」
とも語られています。
噫(ああ)、私は、母そして大いなるもの(それは仏様)に祈られ生かされ願われている存在でした。
また、東井師は、
『母』  母こそは、1つの幼い生命のために、大いなるものの祈りを背負った宇宙意志の実践者。
『最後の人』 世界中何億のすべての人が「あの子はだめだ」と見放し、見捨ててしまっても、見放すことも、見捨てることもしない最後の人、それがお母さん。
とも語られています。
噫(ああ)、母は、私を生んでくれた宇宙(それは仏様の)意志の実践者。そして、見放すことも、見捨てることもしない仏様の摂取不捨(おさめとってすてない)の願いの体現者でもありました。
母の日。一輪の花で感謝を捧げつつお念仏申し上げます。