生きている不思議
死んでいく不思議
『いつも何度でも』より
【住職感話】
最近、改めて七日参りの際に「葬儀の意味・目的」をお伝えしています。その法話の中で、グリーフサポートラボのホームページで橋爪謙一郎氏が、次の6つを上げておられるのを紹介しています。
1 死の現実を認める
2 亡くなった人を思い出し、その思い出を他の人と共有する
3 悲しみの中で互いに支え合う
4 私たちの内なる考えや感情を表現する
5 生きた人生の意義を示す
6 生と死の神秘を受け入れる
住職を務めて21年、父・祖母を送り、御門徒の多くの中陰・法事を経験し、今、なるほどその通りと思わされます。その中で、特に心引かれるのが6「生と死の神秘を受け入れる」です。私にとって生と死の神秘とは、まさに「生きている不思議 死んでいく不思議」です。この言葉は、ジブリの名画『千と千尋の神隠し』主題歌として有名で、メロディそして特に歌詞が素晴らしいのです。
まず、生きていることが神秘なのです。生きているということは「息をしている」こととも言われますが、その息をする元となる力(はたらき)は、一体どこからやってくるのでしょうか。ああ、私は不思議でたまりません。
次に、死んでいくことも神秘なのです。白骨の御文には、「すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬる」とあり、無常の風が来たら、息をする元となる力(はたらき)がその人の身体から去ってしまうのです。ああ、私は不思議でたまりません。