生きている不思議 死んでいく不思議【2025年3月お寺の掲示板】

生きている不思議

死んでいく不思議

    『いつも何度でも』より

【住職感話】

最近、改めて七日参りの際に「葬儀の意味・目的」をお伝えしています。その法話の中で、グリーフサポートラボのホームページで橋爪謙一郎氏が、次の6つを上げておられるのを紹介しています。

1 死の現実を認める

2 亡くなった人を思い出し、その思い出を他の人と共有する

3 悲しみの中で互いに支え合う

4 私たちの内なる考えや感情を表現する

5 生きた人生の意義を示す

6 生と死の神秘を受け入れる

住職を務めて21年、父・祖母を送り、御門徒の多くの中陰・法事を経験し、今、なるほどその通りと思わされます。その中で、特に心引かれるのが6「生と死の神秘を受け入れる」です。私にとって生と死の神秘とは、まさに「生きている不思議 死んでいく不思議」です。この言葉は、ジブリの名画『千と千尋の神隠し』主題歌として有名で、メロディそして特に歌詞が素晴らしいのです。

まず、生きていることが神秘なのです。生きているということは「息をしている」こととも言われますが、その息をする元となる力(はたらき)は、一体どこからやってくるのでしょうか。ああ、私は不思議でたまりません。

次に、死んでいくことも神秘なのです。白骨の御文には、「すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬる」とあり、無常の風が来たら、息をする元となる力(はたらき)がその人の身体から去ってしまうのです。ああ、私は不思議でたまりません。