見えるいのちは 見えないいのちによって 支えられている【1月のことば】

【伝道掲示板 2021年1月のことば】
見えるいのちは
見えないいのちによって
支えられている
 信國淳
[住職感話]
昨年心に残った言葉に
「見えないものと闘った一年は、見えないものに支えられた一年だと思う」(カロリーメイトCM)があります。
新型コロナウイルスの影響で今まで通りの学校生活を送ることが出来ず、授業はリモート授業になり、部活の大会は中止になりました。CMではそのような逆境の中で、時に心が折れそうになりながらも、ひたむきに頑張る受験生と、不安を抱える受験生を思い、受験生と向き合い続ける先生との「心のふれあい」「絆」が描かれています。
お寺も、花まつりをはじめ、すべての法要行事を自粛、縮小せざるを得ず、私も心が折れそうになりました。しかしながら、総代さんと暗中模索しながら、何としてでも勤めたいと、なんとか報恩講を勤め、新年を迎えることができました。
改めて、お寺は法要行事を「とうとい、うれしい、ありがたい」と心待ちにされている多くの御門徒の思いによって支えられていることに気づかされました。
見えるものの背後には、必ず見えないものの思いがあるように、見えるいのちの背後には、必ず見えないいのちのはたらきがあります。逆から表現すると、見えないものの思い、見えないいのちのはたらきがあるからこそ、見えるもの、見えるいのちが成り立っています。
その見えないもの、見えないいのちのはたらきを仏様(如来)と呼んだり、縁起、無自性、空と呼んだりしています。
私たちを常に支え続けてくださる見えないものの思い、見えないいのちのはたらき、すなわち仏様を拝む人生を共に歩んでまいりたいです。