2023年12月のことば
食べものさまには
仏がござる
拝んで食べなされ
宇野正一
【住職感話】
宇野正一(大正6年生)さんは、母親を早くに亡くされ、祖父母に引き取られて育てられました。祖父の口ぐせは、「お米粒には仏がござる」で、食事の時にこぼしたご飯粒は水で洗って食べるように躾られたそうです。正一さんが小学5年の時に、ご飯粒の中にはどんな仏さまがいるのだろうかと思って、顕微鏡で何度ものぞいてみたのだが、なにも見えない。金色に輝く仏さまが見えてくると思っていたのですが、そんなものは一向に見えないのです。そこで先生にそのことをたずねたら、先生は大声で笑いながら、「君のおじいさんのいうことは迷信だ。そんなものが米粒の中なんかにいるわけがない」と言いました。そばにいる友だちもアハハと笑った。正一さんはそれがとてもくやしかったので、家に帰ると「おじいちゃんはボクにうそをついたね」と祖父を責めました。すると祖父は大きな声で「この罰あたり」と言いながら仏壇の前に座って泣き出しました。成人した正一さんはその時のことをふり返って、泣いていた祖父の後姿が忘れられないと話されています。
やがて、お米の中には「姿もなく、形もなく、匂いもないけれども、私をずっと育て守ってくださった働きというもの」があり、「無量寿の働き、数限りのない、とても考えることのできない、口で説明することもできない、計算することもできない、大きな働きそのものの中に含まれている大慈悲と大智慧の働き」に対して、はじめて頭が下がられ、祖父に感謝し涙されました。