今日もいい子やった【お寺の掲示板 心に響く言葉】

2025年11月のことば
今日もいい子やった
 Hさんのおばあちゃん
【住職感話】
今月は、「お仏壇(お内仏)の前で育まれた いのちのつながり」について、ある女性・Hさんのお話を紹介します。
Hさんは、幼いころ、お風呂から上がると、いつもおばあちゃんとお仏壇の前に座って正信偈をあげていたそうです。といっても、幼い彼女はただ横に座っていただけ。おばあちゃんの声を聞きながら、静かにその場にいたのだそうです。おつとめが終わると、おばあちゃんはいつも言ってくれたそうです。
「今日もいい子やった」と。
その言葉がとても嬉しくて、今でもその光景が目に浮かぶとおっしゃいます。やわらかな灯の中で響く「きみょうむりょうじゅにょらい」の声が、自然に心にしみ込んでいった――と。
このお話を聞きながら、私は思いました。おばあちゃんの「今日もいい子やった」は、何かができたから褒めたのではありません。勉強ができたからでも、お手伝いが上手にできたからでもなく、
「あなたが今ここにいること」
「今日も一緒に仏さまの前に座ってくれたこと」
その存在そのものを喜ばれていたのだと思います。
社会では「できること」「役に立つこと」に価値をおきがちですが、仏さまの眼差しは、「できる・できない」「役に立つ・立たない」を超えたところにあります。
あなたが生きている、そのままが尊い。
おばあちゃんの言葉には、そんなお念仏の心が息づいていたのでしょう。
お仏壇の前で過ごしたひととき。それは、いのちの尊さが自然に伝わっていく時間でした。そのやさしい言葉とお念仏の響きが、今もHさんの中で生き続けています。