人というのは、 大宇宙という一本の木の、 一枚の葉のようなもの

人というのは、
大宇宙という一本の木の、
一枚の葉のようなもの
岡 潔
【住職感話】
人というのは、大宇宙という一本の木の、一枚の葉のようなものです。
だいたいそう見当をつければよいでしょう。逆に、宇宙という一本の木の一枚の葉であるということをやめたなら、ただちに葉は枯れてしまいます。《中略》
幸福とか生き甲斐とかいうものは、生きている木から枝を伝わって葉に来る樹液のうちに含まれている。その木から来るものを断ち切って、葉だけで個人主義的にいろいろやっていこうとしても、できやしないのです。自我を主人公として生きていると、生命の根源から命の水が湧き出ることがなくなってしまう。命の真清水が自我から湧き出ると思えますか。そんなはずないでしょう」(岡潔『数学する人生』より)
この認識が私には、「自分のしている息は勿論、自分の身体さえもお与えもので、自分のものと思っていたところに大きな間違いがあった。自分のしている息は自分のものではなかった、如来様の息であった。身体もその通り、如来様からのお与えもの、お借りものだと気付かされた時、目が開けてきた」(前川五郎松氏)と重なります。
個体である自分(葉)は、一人で「生きている」つもりでも、
実は全体である如来様(木)に「生かされている」のでした。