〝いのち〟というのは
永遠に生きているのだ
『葉っぱのフレディ―いのちの旅―』
【住職感話】2021年11月のことば
『葉っぱのフレディ―いのちの旅―』は、葉っぱの一生を通して命の循環を描いた物語で、人生を考えるきっかけを与えてくれる絵本です。葉っぱは春に生まれ、夏に大きく成長し、秋に紅葉となって、冬には枯れゆく、そして春には新たな命の営みが始まる、そのようにして命が巡り巡っていくことを優しく語りかけてくれます。
“いのち”には主として2つの意味があります。第1には、「生きている間、生涯、一生」「見えるいのち」です。第2には、「生物が生きていくための元の力となるもの」「姿かたちをつくる元になるはたらき、力」「見えないいのち」です。
葉っぱは、冬には枯れ散ってゆきます。その散ることを「引っこし」「ここからいなくなる」そして「死」と表現しています。見えるいのちは、姿かたちを変えていきます。それが「大自然の設計図」で「死ぬというのも 変わることの一つなのだよ。」と語られます。
ところが、「見えないいのち」それは表題のとおり「永遠に生きているのだ」と語られているのです。この「見えないいのち」つまり生命の神秘、存在の不思議を感じさせてくれるところに、この絵本の魅力があります。私は、この「見えないいのち」を無量寿と受けて止めています。はかれないいのち、永遠のいのち、つまり阿弥陀仏のことです。私たちは、気づいていても、気づいていなくても、姿かたちという「見えるいのち」と共に、阿弥陀仏という大いなる永遠のいのち「見えないいのち」を生きているのです。
