2025年7月のことば
なんのために 生まれて
アンパンマンのマーチ
【住職感話】
NHKの朝ドラ「あんぱん」、毎日楽しみにしているのですが、なかなかゆっくり観られないのです。どうしてか、それは午前8時から午前8時15分の前後、この時間帯わが家はてんてこ舞いなのです。なぜなら、認知症の母から「今から何するの?」「何をしたらええんやろ」の質問が1分毎に飛んでくるからです。私も坊守も「今日は、デイサービスの〇〇さんへ行くんやで」と答えています。しかし、母は何度質問して答えをもらっても、1分経つと忘れてしまって、また同じ「今から何するの?」を延々と繰り返します。「自分が何か大事なことを忘れているかもしれない」という不安から「今から何するの?」と尋ねずにはおられないようです。
常識的に答えても母には通じない。これでは、埒が明かない。こちらが精神的に参ってしまいます。そんな中、ふっと、母が本当に応えて欲しいこと、つまり求めているものは、今日の予定ではなく、安心して生きられる今ではなかろうか、と思うことがありました。
そこで最近私は、こう応えるようにしています。
「お母さん、お念仏やで。いっしょにお念仏称えよう」と。すると母は「南無阿弥陀仏」と称えてくれます。母も私も仏様とひとつになる安心のときです。母が私に、一番大切な仏様を忘れていることを気づかせてくれました。「なんのために生まれたのか」それは仏様に出遇うため。真実、本当のことに出遇うためです。「なにをして生きるのか」それは南無阿弥陀仏を称えて生きるのです。一人であって一人ではない、仏様といっしょに生きるのです。私はそういただいています。
