新しく得るものより 得ていたものの大きさに気づく(2025年4月お寺の掲示板)

2025年4月のことば
新しく得るものより
得ていたものの大きさに気づく
『あかね噺』第149席より
【住職感話】
去る3月12日、世話人会で「報恩講振り返り」の協議の中で、改めて報恩講とは何かを説明する機会を得ました。報恩講とは、宗祖親鸞聖人の御命日を記念して勤める聞法・念仏の集会(しゅうえ)です。「報恩」という名のように、親鸞聖人の教えに遇って、生まれた意義と生きる喜びを見出した人びとが、親鸞聖人の御苦労と御恩に報いずにおれない気持ちから厳修(ごんしゅう)される仏事です。(本多惠 大阪教区「銀杏通信」より)
西勝寺では、毎年12月に、仏具のおみがき・清掃奉仕からはじまり、本堂の仏花立て、御華束盛り、お斎の調理、接待、法中(ほっちゅう:僧侶の仲間)の勤行、法話等、延べ60名以上の方々の御奉仕でお勤めされています。コロナ以前なら、延べ100名以上の方々でとても賑やかでした。
さて、この報恩講を短い言葉でどのように表現したらよいか、憶念しておりましたら、漫画『あかね噺』に、師匠からの「お前はこの修行で何を得た?」との問いに弟子が「新しく得るものより 得ていたものの大きさに気づく日々でした」と答える場面に「おおっ」と共鳴しました。そこで、「報恩講とは 新しく得るものより 得ていたものの大きさに気づく法要」と説明させていただきました。
では、「得ていたもの」それはずばり、南無阿弥陀仏(仏様・大いなるいのち)です。振り返れば、子どもの頃から「まんまんちゃんにおまいりしよう」と諭されて、「まんまんちゃん、あっ」とお参りしてきました。「まんまん」は南無阿弥陀仏を指す幼児語で、「まんまんちゃん、あっ」で仏様へお参りすることになります。生まれてからずっと先達のお参りされる後ろ姿に導かれて、「いつでもどこでも仏様といっしょ」だよ、と諭されてきたのでした。でも身近すぎて、大きすぎて気づけませんでした。