如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
恩徳讃(親鸞聖人和讃)
【住職感話】
西勝寺では、本年の報恩講(12月10日・11日)に兼ねて、開基西勝寺祐昌(?~1521)五百回忌法要をお勤めいたします。
目的は、開基住職に喜んでもらう法要・事業を!
目標は、お寺の歴史を掘り起こし、御門徒と共に歩んでこられた歴代住職の思いのこもった伽藍(建造物)等を顕彰することを通して、開基住職の心そして仏様の心にであう、としました。
そこで、私の思いを、恩徳讃の意訳でもって以下表現いたします。
仏様の「えらばす、きらわず、みすてず」という広大無辺なお心(壽:いのち)は、いつも小さな私の心(命:いのち)を照らし包んでくれています。そんな仏様からの南無阿弥陀仏という絶対安心大丈夫の呼び掛けに、私は目覚め大安心をいただきました。この仏様のご恩に、私は身を粉にする思いで、いのち(壽・命)が喜ぶ生き方で報いていきます。
このような仏様のご恩に出遇えたのは、親鸞聖人をはじめ先達(御先祖)のお陰様です。
目に見えず形のない仏様の心(光:ひかり)を、親鸞聖人は正信偈を作り、先達は手を合わす姿やお念仏の声そして正信偈のお勤め、さらに本堂をはじめとした伽藍(建造物)や顕彰碑でもって、目に見え形あるもので表現してくれました。
この先達のご恩に、私は骨を砕く思いで、仏様の光が満ち溢れる生き方で感謝していきます。